天穏 山陰吟醸セレクトNo.6 1.8L

販売価格: 3,000円(税別)
(税込: 3,300円)
杜氏より。
天穏 山陰吟醸セレクトシリーズ
速醸の出来の良い酒を単独で詰めます。協会酵母(6・7・9号)それぞれにベストタンクをセレクトし、シングルタンクで瓶詰めする「山陰吟醸セレクトシリーズ」を新たに限定リリースしようと思います。
今季は全量酒造好適米で寒造りの条件でできるため山陰吟醸造りを強調して酒造りをしています。そのため酒質が安定しており、そのなかでも出来の良い酒を単独で詰めたい欲求が湧いてきて今回の試みへと至りました。
私は山陰吟醸という唯一の酒造りをしているため、その酒としての評価基準も鑑評会などの日本酒全体のものとは異なります。ここで今一度、山陰吟醸の特徴と醸造としての狙い、そしてその酒の評価を定義し、この稀有な酒造りをお伝えいしたいと思います。
今回の山陰吟醸セレクトシリーズは、山陰吟醸の特徴が良く出ている酒をセレクトしています。No6は8本中のベスト1、No7は7本中のベスト1、No9は5本中のベスト1本となっているので天穏が好きな方にはおのずと良い内容になっていると思います。山陰吟醸についてはお知らせの後半に。
Concept
協会6号のベスト1だった純米8号のシングルタンクです。
過去の6号の中でもいちばん良かったのでシングルで詰めたくなりました。6号の特徴というとなかなか複合的で難しいところが有るんですが、イソアミル主体でエステルや高級アルコールが強く、酸がちょっと官能的な印象です。
この純米8号はセレクト6とか言ってるけど、協会6号の特徴がよく出ているというよりも総合力で良い酒だなって思える感じでした。
Tasting
香:全体的に薄い、弱いイソアミル、温かい香り、ほのかに甘い麹香、バニラ、エステル
味:綺麗、なめらか、清涼、緻密、バニラ、イソアミルの吟味、麹の旨味、苦渋、山水
すごくきれいで清涼。劣化するアミノ酸がかなり低いので開栓後は冷酒や常温で。開栓後の伸びが良いと思われる。酸と吟味の絡み方が6号っぽい。とてもエレガントなので、ゆっくり時間をかける飲み方がいい。長期保存最高。
Information
速醸
酵母 6号
日本酒度 +8
酸度 1.9
アミノ酸度 1.2
無濾過
1回火入れ
15℃以下 瓶貯蔵
◎山陰吟醸造り(出雲杜氏流の純米吟醸造り)
・外硬内軟の蒸米
限定汲水と毛細管現象を利用して酒造好適米の中心部分の心白に水を溜め、表面部分はしっかり枯らす。長い蒸米時間と後半の乾燥蒸気で米の表面部分を固め、かつ内部の心白部分を間接的に蒸らし、外硬内軟の蒸米にする。このことで米の中心部分を優先的に酒にし、表面部分を粕になるように仕向ける。
・突きハゼ麹
外硬内軟の蒸米と製麹操作によってコウジカビの菌糸のベクトルを心白に向けた麹。表面菌糸が少なくαアミラーゼ、酸、アミノ酸が低い麹となる。現在はその発展形の突きハゼ三日麹へと進化し、突き破精と同様の特徴に加え、アリシン、グリシンと行った旨味の強いアミノ酸比率が上がり、綺麗さと旨味と余韻が合わさった米麹となった。
・長期低温発酵
外硬内軟の掛け米と突きハゼ三日麹で醪を立てる。どちらも米の表面が硬化しているため米の溶解が遅く、糖化と発酵がゆっくりとなり、醪の発酵期間30~45日と長くなる。醪が長くなると酵母が溶解物質を代謝する期間も長くなるため、溶解成分が酵母レストされて調和の取れた酒となる。醪期間は長いが低アルコール期間が長いため酵母溶解が少なく低アミノ酸の老ねにくい酒になる。また吟味・吟醸香という涼しげな含み香が付与される。
これらの要素が組み合わさった結果、綺麗さと涼しさと柔らかさと余韻のある酒になります。すべての工程を吟味して醸さなければならないのでやはり吟醸造りとの言葉通りの製法ですね。精米歩合だけで吟醸と言えてしまうのはさすがに無理があるでしょう。
具体的には低グルコース、低酸、低アミノ酸なのに含み香があり、旨味系アミノ酸が豊富で老ねにくい特徴を持った酒です。低グルコースで糖は低いが甘味を感じるアミノ酸は多い。酸は低いが、酵母由来の酸は多く、麹由来の酸は少ない。酵母由来のアミノ酸は低く、麹由来のアミノ酸は高い。このように各香味についても吟味されています。このような意味での吟醸酒は常温で香味のバランスが取れるので、冷酒も燗酒もどちらも対応し、酵母由来のアミノ酸が低いので長期熟成にも向く酒になります。
欠点としては非常にジェントル&エレガントなのでパッと飲んでしまうとわからないという点です。1杯ごとに酒を変えるような嗜好的な飲み方は適合しにくいと思います。ゆっくり杯を重ねるごとに香味が調和していくためドリンカブルで飲み疲れしにくい点が特徴です。
フェロモン、グルコース、酵母由来のアミノ酸が低いので脳の報酬系を刺激せずに杯をすすめられるので、悪酔いしにくく、理性を保ち、興奮のドーパミンではなく安心のセロトニン回路で酔うことが出来ます。突きハゼ三日麹のアミノ酸でこのあたりは初期の頃よりかなり改善したと思います。
平成27~30BYあたりの2日麹突きハゼの時代の酒でもとても良いですが、ベクトルがミクロに向かう分断をつくるマニア向けの酒質であったと感じます。アミノ酸が人につながりを思い出させるという直観のもと、3日麹のアミノ酸で旨味や余韻を膨らませてベクトルをマクロに向ける酒質にしたことで、広い範囲を包むことのできる器の大きい酒質になったと思います。現在、天穏を飲まれる方々の幅広さを見れば直観は正しかったと思います。
◎醸造フィロソフィー「齋香と御神酒」
現在の日本酒は、酒税法で定義され、またその製法や精米歩合によってその名称も細分化される酒類のなかの1つです。そして酒税法の範囲外として日本酒は日本民族固有の酒としても人々のあいだで認識されています。
その日本民族固有の酒とは何でしょうか。それを端的に言葉とするならば、日本酒は御神酒(おみき)でもあるということです。御神酒とは神様に捧げる酒です。日本人の観点では神様とはご先祖さま・八百万の自然神・仏様です。これらの神様は米の一粒、土の一粒、水の一滴に存在し、空の全てにも神が満ちていると考えられてきました。
そして人間が親から生まれ、やがて子どもを育て、死んで土に還る。その生命の過程の中で衣食住に必要なものはすでに神様から贈られているという感覚が人間にはありました。このことを狩猟採集時代では精霊、神道では神や神在、仏教では縁起、儒教では道(タオ)として様々な体系で思想化されて人々の概念の上で習合されていますね。いつの時代でも人間はこの全ての間に満ちる神様に何かお返しをしなければならないと考えていました。
そこで神様へのお返しとして用いられたものの日本での代表がお酒です。日本人の環世界でもっとも重要である米と女性と神が縁起して醸す酒(口噛み酒)は、最上のお供え物(齋香)として信仰を集めました。
人間から神様へのお酒の贈与という縁起儀礼を行うことで、人々は神様と関係性をつくり、五穀豊穣と子孫繁栄の祈りを捧げて未来を創造してきました(=予祝儀礼・祭り)。米を造り、酒を造り、神様と良好な関係を築くことができれば私たちの営みは継続される。それを2000年続けてきたので、そのお酒を御神酒や日本酒と呼ぶようになったわけです。
人間は概念を共有すると群れになる性質がありますので、同じ土地の神、御神酒を共有した者はおのずと同じ群れの仲間になります。神にお酒を還すお祭りは出入り自由であり、人間の動的平衡な生命の流れを可視化する一大イベントの実例として、確固とした実績を残してきたため私たちが存在しているんですね。
◎山陰吟醸と御神酒の融合
私の中では山陰吟醸の技術習得と御神酒の研究は同時並行の出来事でした。御神酒と言える酒造りを目指すことが山陰吟醸の習得と同じ意味を持つことを理解していきました。
御神酒の構造を読み解くと、その本質は洗練させることと、時間をかけることに集約されます。洗練させる時間の過程の中で祈りが増大していくことを昔の人は見抜いていました。大事なことは何を贈与するのかでなく、その贈与にどれだけの時間が付与されているかが重要だということです。現実的にも発酵期間が長いほどその風土の影響を受けますから御神酒造りは必然的に地酒に近づきますね。この蔵には機械麹も冷房もサーマルタンクもありませんから酒造りに時間をかけるほどに空を転写するような酒に近づきます。
つまり酒造りにおいて、なるべく時間を付与するような造り方が御神酒に近づく具体的方法論であるということです。生酛や三日麹、長期醪、つまりは山陰吟醸の取組みを強くさせる事が御神酒造りと同じ意味であるという考えに到り、今まで10年ほど続けてきました。
私がこのように古典吟醸を極めようとすればするほど現代の酒造りと離れていき、独自性を持つようになるということは非常に複雑な気持ちです。高グルコ菌や酵素剤、泡なし酵母や前急モロミ型の耐セルレニン酵母が増えて、現代の酒造りはとてもハイスピード型で、人間の時間を神に贈与する御神酒の価値観からどんどん離れていきました。
御神酒と言っても残念ながらその内容はほとんど知られていませんのでしかたありません。明治維新からの富国強兵で神社が減らされ、18万社あった神社が現在は8万社まで減っています。明治期に10万社もの神社が消え、同じ分だけ祭りが消え、御神酒とそこに紐づく小規模コミュニティが消えました。私たちが日本酒や御神酒がやっていた背景を忘れるのは当然のことと言えます。
イメージとして神社は戦争で消失したように思われますが、神社を壊したのは戦前の日本政府の高官と日本人です。明治初期の廃仏毀釈から小規模な共同体の破壊は始まり、神社合祀、戸籍法で平民に名字を与え、隣人を名字の違う他人にすることで人々の共同体は村から日本という巨大なものになりました。明治期に地域それぞれにあった御神酒や地酒が画一的な日本酒へ変化を始めたとも言えるでしょう。明治30年代からは琺瑯タンクと瓶での流通がはじまり、酒造、流通、思想の全てが日本という全体主義に走ったことがわかります。
その後の戦争、高度成長、現代の全体主義、コロナで稼働している神社が減り、これからのスタグフレーションインフレや夫婦親子別姓で御神酒が消え、祭りが消え、日本人共通の根っこが枯れる未来が見えはじめています。アルコール規制が来たときに民族性を失った日本酒は消えてしまうのでしょうか。そうなってしまったときに日本や日本人という私たち共通の根っこは残るでしょうか。地域や風土、家族といった根っこを失った人がどうなるでしょうか。そこで孤立し追い詰められた人間がどういう行動を取るかは明白です。日本酒の追求がこの課題を解決できるかどうかは難しいことです。しかし少しでも日本酒の背景である御神酒の価値観を知ることができればちょっとは人間の孤独を食い止める抑止力になるかもしれません。
実は神社や祭りが減ったかわりに飲食店が増えているんですよね。神社や祭りは減ったけど、人々が小規模コミュニティで酒を飲み交わすという構造は減ってはいないのです。飲食店さんが地域性を持ったお酒と料理でお客さん同士に根をつくればまだまだ頑張れるんじゃないかと思います。酒蔵、酒屋、飲食が地域性を持って日本酒と祭りを増やせばまだまだイケると感じます。
みんな根っこは同じだと思い出せる酒が日本酒であると良いですね。山陰吟醸や私の造るお酒が根をつくる日本酒なのかは自問自答を繰り返すところですが、このことを考えながら造ろうと思います。私自身の人間性はつながりを重んじる行動が取れるとは到底に言い難い存在ですが、代わりに造る酒はそうでありたいと思います。結果として営みを実現する酒が出来なくても、続ける人間の姿勢自体がそうなっている可能性も大きくありますから追っていただけると幸いです。
「天穏(てんおん)」
醸造元の板倉酒造は明治4年の創業。 天穏という酒名は大正5年に当家宗門である日蓮宗本山要法寺管主坂本御前より仏典の無窮天穏という言葉から命名されました。 無窮天穏とは、天が穏やかであれば窮する(困る)ことは無い、世界とその未来が平和であることを願う言葉です。
出雲の御神酒
日本酒は自然や神、ご先祖様からの授かりものであるお米に対して、豊穣と感謝の祈りを捧げるために造られるものです。人々の祈りが込められたそのお酒は「御神酒(おみき)」と呼ばれ日本人が自然や神に対して捧げる最上の御供物とされてきました。私たちは御神酒こそが天穏・無窮天穏の目指す姿であると考えます。天穏・無窮天穏は、清らかで優しい穏やかな酒質を追求し、飲む人の心を穏やかにするような御神酒を造りたいと思います。私たち日本人の大切な行事において、その土地の風土と歴史が注がれた出雲の御神酒、天穏をお使いいただければと思います。
商品詳細
■原材料 | 米・米麹 |
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■原材料・詳細 | 島根県産五百万石 |
■精米歩合 | 60 |
■アルコール度数 | 15 |
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